概要
創価学会と公明党の歩み:政界進出から「中道改革連合」への転換
1. 政界進出の動機と「国立戒壇」の悲願 創価学会の政界進出は1954年の「文化部」設置に始まります。当初の目的は、日蓮仏法の理念を社会に反映させる「王仏冥合」の実現と、国会の議決によって富士山に「国立戒壇」を建立することにありました。戸田城聖第2代会長は、政治を「広宣流布」という宗教的目標を達成するための手段と位置付けていました。
2. 公明党の結党と言論問題による「政教分離」 1964年、池田大作第3代会長のもとで公明党が結成され、衆議院へと進出しました。しかし、1969年の「言論出版妨害事件」で猛烈な社会的批判を浴びたことを機に、1970年、池田会長は学会と党の組織的分離を宣言しました。この際、憲法の「政教分離原則」に抵触する恐れがあるとして、「国立戒壇」の建立計画を放棄し、民衆の寄進による「民衆立」の戒壇(正本堂)へと教義を修正しました。
3. 「国立戒壇」をめぐる内部対立 学会が国立戒壇論を放棄したことに強く反発したのが、信徒団体の妙信講(現・顕正会)です,。彼らは国立戒壇建立こそが日蓮の遺命であると主張し続け、学会や日蓮正宗宗門と激しく対立した末に解散処分を受けましたが、現在もその主張を堅持しています。
4. 自公連立の26年と新党「中道改革連合」の結成 公明党は1999年から自公連立政権に参画し、長年与党の一翼を担ってきました。しかし、支持層の高齢化による集票力の低下や、自民党との政策的な隔たりから、2025年に自公連立を離脱しました。2026年には、立憲民主党の一部と合流して新党「中道改革連合」を結成する方針を固め、大きな転換期を迎えています。
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