【元瓅玩樂誌】臺灣與日本最美麗的邂逅S2EP11_ 章魚燒、大阪美食Ⅱ|元瓅書坊

2021-07-23·24 分鐘

本集介紹

昭和初期、地方から「東洋一の工業地帯」「東洋のマンチェスター」大阪に工場労働者が集まってきた頃、「ちょぼ焼」「ラジオ焼」という食べ物の屋台がたくさん出ていた。それは水で溶いた小麦粉を、丸くて小さいくぼみが並んだ型に流して、刻んだコンニャク・ネギ・天かす・紅しょうが等を入れて型どおり長方形に焼き、醤油をつけて(あるいは醤油も入れて焼き)食べるものだった。屋台によっては「ラジオ焼」という名前でも売られており、球形の場合もあった。特においしいわけでもなく、どちらかというと子供向けだった。
1933(昭和8)年、福島県から大阪に出てきた遠藤留吉夫妻が「ラジオ焼」の屋台を始め、その後、醤油で味付けした牛肉を小さく切って入れて売り出したところ大人の客が増えてきた。1935(昭和10)年10月、その一人から「蛸を入れる」というヒントをもらって、肉の替わりに小さく切った蛸をいれ、醤油風味のだしで味付けした。1936(昭和11)年から、赤いのれんに白く「たこ焼」と染め抜いて売り出し、疎開するまで屋台でたこ焼を売った。
戦後、遠藤氏は大阪市天下茶屋(現在の西成区)に「会津屋」の店舗を開いて、いよいよ本格的に「たこ焼」を売るようになった。もともとのたこ焼は「醤油味」で、現在も「たこ焼きの元祖 本家会津屋」としてそれを主軸商品に据え、また2005(平成17)年には70年ぶりに「ラヂオ焼」を復活させた。
球形の「ラジオ焼」に、1935(昭和10)年10月遠藤留吉氏が「蛸」を入れて「たこ焼」を完成させた、というのが定説となっているようです。
其實章魚燒的前身不是只加章魚腳,它有一段歷史脈絡,大阪一直以來就有英國曼徹斯特工業區的美稱。佳芸來幫大家溫習一下歷史:曼徹斯特(Manchester)世界上最早的工業化城市,英國重要的交通樞紐與商業、金融、工業、文化中心。
曼徹斯特發展新興工業,成為以電子、化工和印刷為中心,擁有重型機器、織布、煉油、玻璃、塑膠和食品加工等700多種行業的國際化城市。作為自由貿易、經濟自由化和合作運動的先導的曼徹斯特市對英國經濟相當重要的影響力。
目前曼徹斯特從以工業城市發展成為以金融、教育、旅遊、商業、製造業為特色的繁華的不夜城,曼徹斯特是英格蘭主要的工業中心、商品集散中心和金融中心城市,英格蘭八大核心城市之一。
那麼大阪在昭和初年,可說是東亞重要的工業城市,所以當時大阪重工業的勞動者,他們都是以「ちょぼ焼」、「ラジオ焼」為主,不過除了小麥麵糊裹粉外,內餡是牛肉為主,跟章魚燒一樣以鐵板形式燒烤而成。不過到了1933年以後,福島出身定居在大阪的遠藤夫婦,他們把「ラジオ焼」的內餡改為たこ。又加上以醬油調味,從此以後,就變成了章魚燒。
「暮らしと物価大阪百話」這本書,中就把「章魚燒」歸為遠藤留吉夫婦所創發的美食。
其實除了「章魚燒」屬於丸形的美食,佳芸在這裏要附帶跟大家介紹另一個也是丸形,但不太一樣的食物,也是遠藤夫婦所發明的美食,「ちょぼ焼き」。
ちょぼ焼き(ちょぼやき)は、ラジオ焼き、たこ焼きの原型であり、地域によっては一銭焼き(一銭洋食・一銭定食等とも言う)を一括りにした呼称として用いられている。そのルーツから、現在におけるもんじゃ焼きやお好み焼き、たこ焼き等と類似する。
「ラヂオ焼(ラジオ焼き)」と名付けられたとも言われている。昭和10年、タコを入れた明石焼きに影響を受け、ラヂオ焼(ラジオ焼き)にもタコが加わる。呼称も、たこ焼きに変わっていった。